GA info. 印刷表現を追求するクリエイターのために by Graphic Arts Center, Toppan

CREATOR'S FILE

15 平林奈緒美

好きなものを信じる

14 寄藤文平

自らを「天の邪鬼」と語る平林奈緒美氏。学生時代からさまざまな紆余曲折を経て、資生堂というメーカーからデザイナーとしてのキャリアをスタートし、現在はフリーとして活躍している。
自分がカッコいいと思ったもの、自分の好きなものを徹底して追求し続ける姿勢は、個性的で、しかも求心力のあるクリエイティブに結実している。

第1話 「アウトロー発本流へ」

人と同じはイヤだという天の邪鬼の発想

 幼い頃から、みんなが群がるものに対して、そっちには行きたくないと思う“天の邪鬼”的なところがありました。
 美大進学のために御茶の水美術学院に通っていたときも、周囲はデザイン科に行きたいという人ばかりだったけれど、私は彫金や鍛金などの工芸をやろうと思っていたのです。今になって思えば、その頃からグラフィックデザインは好きだったんですけどね。
 結局、武蔵野美術大学の空間デザイン科に進んだのですが、それも理由らしい理由はありません。そこでは空間の見方や作り方はもちろん、写真や絵画の授業もありました。課題で店舗デザインの設計をするときにはプレゼン用のパネルを作るのですが、たいていの人は中身に集中してパネルはダサかったけど、私はきれいにパネルを作って、いかに見せるかに命賭けてたりしてましたね。

資生堂入社──アウトロー指向全開に

 私は資生堂に入るときから「男モノがやりたい」と主張していました。私の好きなバウハウスとかロシア・アバンギャルドみたいなことをやるなら、本流の化粧品よりは男モノだろうと思ったからです。研修期間が終わると、希望どおりに化粧品以外の仕事をする部署に配属になりました。
 同期で入社したデザイナーたちは、化粧品の大きなキャンペーンのチームのアシスタントに組み入れられて忙しくしていましたが、私は教育担当の先輩と3日目くらいでケンカしたら見放されてしまって。
 でも、いろいろな仕事があって、たとえば人事部の仕事で『水曜日は早く帰る日』みたいな社内キャンペーンのポスターを作ったりしていました。当時はインナー向けのツールもちゃんと印刷させてくれたんです。そういう仕事を誰にも邪魔されずに自由に作っていました。それはうれしかったですよ。企画から撮影までもすべて自分でできるわけですから。

出世作「FSP」──商品開発からやりたい

 自分のテイスト全開で仕事をしていたので、個性が見えやすかったのか、周囲から『正統派ブランドよりも若い子向けのブランドが合う』と思われて、FSPの前身ブランドの仕事をやらせてもらううちに、それをリニューアルするという話が出てきました。
 資生堂ではデザインに関する仕事は、店舗、パッケージ、グラフィックと3つあって、それぞれの垣根があったのですが、私は商品コンセプトからトータルでクリエイティブを考えるべきだと思っていて、このブランドリニューアルを機に関係部署に訴えて、プロジェクトというスタイルで商品開発からやらせてもらえることになりました。入社6年目くらいのことです。
 コンセプトやネーミングなどはプロジェクトのコアメンバーで決めていったのですが、その頃の10代の若い女の子にとって、化粧品って雑貨みたいに気軽に買うものになっていて、昔の人が口紅1本を買うのとはまったく気持ちが違っていました。それは女の子だけの武器なんじゃないかと考えて、「女の子のための戦闘ギア」という商品コンセプトを考え、それを柱にあらゆるものを展開していきました。
 社内提案のときには商品開発やネーミング開発と同時に、パッケージや広告展開なども、すべてプレゼンしました。私たちはトータルでFSPというブランドを考えていたので、トータルでジャッジしてもらおうとしたのです。そういうプレゼンは資生堂はじまって以来だったそうです。
 おかげさまで、FSPの仕事はいろいろな賞もいただいて、自分でも印象深いものになりました。

外の仕事、内の仕事

 資生堂はわりと外の仕事に寛容なところがありました。私が最初に手がけたのは、スタイリストのソニア・パークスさんから作品集を作りたいと依頼されたものです。それが好評で、デザインを依頼してくる人が現れだして、気づいたら仕事の半分は外のものになっていました。
 内の仕事では、FSP以降、「ハウスオブシセイドウ」というギャラリーのグラフィック関係や、資生堂の創業120周年の新聞30段の企業広告など、ちょっとイレギュラーな仕事は私に来るという感じでしたが、そういう企業メッセージ的なことも好きでずっとやりたいと思っていたんです。メインで見えるところがカッコよくないと、企業イメージも変わっていかないと思っていたし。
 作り手としては、どんな仕事でもスタッフィングを含めディテールまで目を届かせたい。勝手なところでスタッフを決められて、それで「さあ作って」といわれても、そこから先では責任は持てませんから。メーカーの宣伝部にはいいところもたくさんありますが、その頃の私は悪いところばかりに目がいくようになっていたんですね。そんなこともあって、もっと“外の世界”を見てみたいと思うようになったんです。

平林奈緒美
アートディレクター/グラフィックデザイナー
東京都生まれ。1992年武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業後、株式会社資生堂(宣伝制作部)入社。
2002年より1年間ロンドンのデザインスタジオ「MadeThought」に出向。04年12月資生堂を退社し、05年1月よりフリーで活動開始。 これまでの主な仕事に、資生堂の企業広告、「FSP」 / 「PN」 / 「Honey Cake」、HOUSE OF SHISEIDO、東京資生堂銀座ビルをはじめとする資生堂での仕事のほか、MARY QUANT、MUJI、Toshiba「dynabook」、Big Magazine Tokyo Game issue、journal standardなどセレクトショップのグラフィック、CDジャケット、書籍の装丁など多数あり。
主な受賞に、NY ADC 金賞 / 銀賞、British D&AD 銀賞、JAGDA新人賞、東京ADC賞、東京TDC賞、グッドデザイン賞など多数あり。