TOPPAN 凸版印刷株式会社

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CREATOR’S FILE クリエーターズファイルトップクリエーターに、仕事や考え方について伺います

誰にもできないことを実現する

18 高松聡

見る人を驚かせた宇宙ステーション内でのポカリスエットの映像。史上初の本格的な宇宙CMを実現させたのがクリエイティブ・ディレクターの高松聡氏だ。メディア横断で展開される日清カップヌードルのキャンペーン「FREEDOM-PROJECT」の仕掛人でもある。常識を覆すような数々のユニークな広告キャンペーンを手がけてきた高松氏の歩みは、それ自体が独自なクリエイティブとさえいえるだろう。

第1話 「理系少年の華麗なる転身」

数学者、物理学者、宇宙飛行士

 小さい頃から物理や数学に興味があり、中学に入るとかなり明快に、将来は数学者か物理学者か宇宙飛行士、このうちのどれかになろうと思っていました。そのうち数学者については、自分には天性の数学の才能はないと早々にあきらめました。
 純粋理論ですべてが完結するような数学よりも、物理学だったらまだ芽はあるかもしれない、それ以上に、「百聞は一見にしかず」で実際に宇宙をこの目で見れば、宇宙を知ることができるんじゃないかとも思ったのです。
 中学時代は宇宙、音楽、SF小説と、いろいろなものに目覚めて、今の僕のベースが作られた時期だったと思います。

文系か、理系か、悩める高校時代

 高校生になって、やはり物理は好きでした。一方で、職業とか将来の生き方とかも考えるようになり、自分が文系なのか、理系なのかずっと決めきれずに悩んでもいたんですね。物理学者として白衣を着てどこかの研究室にこもって実験装置を相手にするのもいいけれど、アタッシュケース片手に世界を駆け巡るビジネスマンという選択も、自分のキャラクターの適性としては合っているのかなとも思いはじめました。
 大学受験では運良く筑波大学といくつかの私大に合格したのですが、当時、自分の周囲は国公立至上主義みたいなところがあって、筑波に入学してしまいました。でも文系・理系を決めきれないまま受験して、流されるままに入った大学ということで、仮面浪人も考えるほど思い詰めていたんです。
 でも1ヶ月もすると周囲も楽しく遊んでいるし「まっ、いっか」なんて(笑)。

ビジネス英語の訓練

 大学1年の時にESS(English Speech Society)というサークルのディベート・セクションに入りました。あるひとつの論題に対して肯定側と否定側に分かれ、相手の主張に対して証拠を突きつけた上で、論理的に言い負かすというもので、いってみれば法廷でのやりとりなんですね。英語的な正確さはともかく、制限時間内に自分のいいたいことを論理的かつ説得力をもってしゃべりまくるということの、まさに体育会的な訓練を受けました。
 この英語によるコミュニケーション能力が、のちに宇宙CMの仕事などにとても役に立つことになりました。

宇宙飛行士を断念、一転、電通へ

 4年生になって、当時もっとも先端で、もっともヘビーだった化合物半導体の研究室に入りました。なにしろ朝10 時から夜10時まで、1日12時間研究が義務づけられていてハードな毎日でしたね。
 ちょうどその頃、日本初の宇宙飛行士の募集があったのです。すぐに願書を取り寄せたのですが、裸眼視力1.0以上という身体的条件を満たせずに、あっけなく宇宙飛行士への道が閉ざされてしまったのです。ならば進路で迷っていた高校時代に立ち返って、ビジネスの世界でバリバリやっていく方向に転じようと思い、若くしてバリバリやれそうというイメージだけで電通に入社したのです。

自分の仕事は自分で作り出す

 電通に入社して最初に配属になったのは、新規開拓を担当する営業局。そこでの3年間がその後の僕を決定付けたと今になって思います。同期達は1年目から大手のクライアントを担当していて正直うらやましく思っていました。一方、僕のクライアントは担当が自分ひとりというありさま。まだわからないことだらけなのに、わかったふりをしながら(笑)、その会社のことを1から10まで面倒を見るという状況になってしまったわけです。たいていのことは仕切れる営業に育てられ、自分の仕事は自分で作り出すという姿勢がこの3年間に培われました。
 これらの動きが評価されたのか、4年目から電通の重要なクライアントの1社である富士ゼロックスの担当に抜擢されたのです。

名物社員の系譜に連なる豪腕営業時代

 富士ゼロックスの営業担当というのは電通の中でも名物社員的な人が続いていて、広告史に残るキャンペーンを手がけられた方々が歴任していました。「電通の営業はすべての業務の中心、プロデューサーたれ」という文化のあるところで、僕はそこの後継者として異動することになりました。
 富士ゼロックスは僕プラス数人で仕切れるくらいの規模でありながら、企業としてはメジャーで伝統もある。さまざまなことに挑戦できる、実にやりがいのあるクライアントでした。
 ここで、僕はありとあらゆる仕事を手がけました。W杯やオリンピックのセールス、東京ビッグサイトでやるような展示会やイベントの企画・運営、TV- CM、新聞広告、雑誌広告はもちろんのこと、ショールームを改装する際には仮店舗の不動産仲介や、ショールームで供する飲食のメニュー開発やカフェ経営など、ほぼ全領域の仕事を手がけたといっても過言ではないでしょう。
 僕は相当強力なイニシアティブをとるタイプの営業でした。クライアントからオリエンを受けたら、それを自分なりに咀嚼して広告の狙いや方針を打ち出し、クリエイティブをリードし、コントロールしていくような仕事の進め方に面白味とやりがいを感じていました。
 その一方で、クリエイティブへの興味も湧いてくるようになってきた。広告会社である以上、中心業務である広告制作に直接触れないのはつまらないという気分になってきたのです。実際に、ゴーストライターとして自分の書いたコピーがクライアントに評価されることもたびたびあって、営業でありながらコピーも書ける、2足のわらじも悪くないなと思っていました。  ところがそれに冷水を浴びせかけられるような事件があって、本格的にクリエイティブ転向を考えることになったのです。

高松聡
クリエイティブディレクター
1963年栃木県生まれ。86年筑波大学基礎工学類を卒業後、電通入社。営業分野を10年以上経験した後、2002年にクリエイティブ分野へ。05年電通を退社し、クリエイティブエージェンシー・ground、宇宙映像制作会社・株式会社SPACE FILMSを設立。代表取締役社長。主な仕事に、スカイパーフェクTV!、アディダス、NTTレゾナント「goo」、日清カップヌードル「NO BORDER」「FREEDOM」など。大塚製薬ポカリスエット「宇宙CM」で世界初となる宇宙ステーションでのCM撮影を敢行。主な受賞に、03年「パブリック・ビューイング・イン東京」でカンヌ広告祭金賞(メディアライオン)、06年「教えて!goo」で米国クリオ賞グランプリ、アドフェスト グランプリ、NY ADC賞ハイブリッド部門金賞など、従来の枠を超えた企画で国際的にも注目されている。

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